医師のLEXIKO 医局の大改革~年間20名入局の軌跡~

名古屋市立大学 整形外科 主任教授 村上英樹 先生

専門分野:脊椎がん
資格:整形外科専門医・日整会認定脊椎脊髄病医
日本脊椎脊髄病学会認定脊椎脊髄外科専門医・脊椎脊髄外科指導医
卒業大学:金沢大学(1993年)

2019年2月1日より名古屋市立大学整形外科の主任教授に就任。

1.四面楚歌の名古屋ライフの幕開け

 最初に待ち受けていたのは悲哀の日々で、移入教授には厳しい同門会総会や一人だけの教授回診(看護師も研修医もいない)、そして医局員からは人権侵害と訴えられることもありました。また、医学生からは「整形外科に進むなら名大ですよね」と言われていました。

2.医局の大改革の始まり

 医局の改革を進める必要があることに改めて気づきました。
 しかし、困難なことが多く、一人ぼっちの教授回診では本当に涙が出てきました。医局カンファの参加率も本当に悪かったです。一部の医局員は医局費も払わない、勝手にバイトに行くなどガンバナンスのない状態でした。この様な状況の中で医局の空気を変えるしかないと思ったのですが、どの様にしたらよいかわからず途方にくれました。
 そこで、解決策として「新しい医局員を増やす」しかないとの考えに至りました。

3.新しい医局員の獲得のために

 医局説明会を開催し、学生・研修医と交流を図るために飲み会を設定しました。コロナ前は、学生や研修医ととにかく飲む機会など交流の場をたくさん作り、潤滑なコミュニケーションの場を用意しました。
 説明会も1回では足りないと思ったので、開催を2回にしました。また、この2回の説明会だけでは名市大整形外科の魅力を伝えるには不十分と思い、学生や研修医が喜び興味を引きそうなハンズオンセミナーをたくさん開催しました。脊椎マイクロサージャリー運動器エコーに関するハンズオンセミナーだけでなく、ギプスシーネを実際に巻いてみるハンズオンセミナーも実施しました。
 また、初期臨床研修医のため救急外傷に強くなるセミナーまで主催しました。このセミナーは、自分でアレンジから当日の段取りまで全てに携わり実行しました。
 2回の医局説明会を基本に研修医や学生が喜びそうなセミナーを6月~8月の間で複数回実施しました。
目ぼしい研修医には自ら手紙やメールを何度も何度も送り積極的なアプローチを行いました。
 この様な手法で令和2年度には11名令和3年度には12名新入医局員を獲得し、医局員の大幅増員に成功しました。

4.組織運営について

 私の専門分野は脊椎ですが、名市大整形外科はこれから救急スポーツに力を入れていくと宣言し、様々な制度設計や環境づくりを実践しました。

新制度の設計

 名市大整形外科に入局したら、最初の2年間は自分の行きたい病院で勉強してきて良いとして、3年目になったら同期生みんなで大学に帰ってきて、一緒に学んでいく制度を設けました。

外傷班の設置

 私が着任するまでは救急車対応を断っていたそうですが、救急車を断ることは学生や研修医にも地域にも良くないと思い、その打開策として専門性の高い外傷班を新たに設けました。また、名市大では、3年後の2025年には日本最大級の救急・災害医療センターが新設される予定もあり、この外傷班が活躍できる場になります。

運動器スポーツ先進医学寄附講座の開設

 スポーツの寄附講座を2020年4月より開設しました。学生の講義にはスポーツ選手を招いて整形外科に興味を持ってもらう仕掛け作りをしました。
 オリンピック選手の川井梨紗子さんをお招きし、金メダルを持って来ていただき講義をしてもらいました。また、サッカー元日本代表で日本の壁と呼ばれた秋田豊さんにもご講演いただく予定でしたが、残念ながらコロナの影響で中止となりました。
 これ以降はコロナ禍で講義にお呼びすることができなくなってしまったため、講演会という形に変えて様々な方をお招きしました。3年連続の日本一の工藤公康監督には2回もお越しいただきました。とても気さくで隅々まで気を配られる方です。元中日ドラゴンズのレジェンド岩瀬仁紀さんにはスポーツ医学の寄附講座の記念講演会で、トークショーの形でご登壇いただきました。元フィギュアスケート選手の村上佳菜子さんにもお越しいただき、トークショーを開催しました。
 皆様のご協力で当講座は大いに盛り上がり、多くの学生がスポーツを通して整形外科に興味を抱く契機となりました。

社会への貢献活動

 愛知県の高校野球の県大会の180試合医師を派遣する活動も行いました。2020年にコロナ禍で甲子園大会が中止になり、各都道府県で独自の大会を模索することになった時です。実はその時に愛知県で高校野球の県大会が行われた理由名市大整形外科にあります。
 私が愛知県高野連へ直接コンタクトを取りました。今まで頑張ってきた高校球児が不憫でしたので、せめて県大会だけでも開催できませんかと高野連の理事長に訴えました。
 先方からは「コロナ禍で難しいです」との回答をいただきましたが、「全試合に医師や看護師、理学療法士を派遣します。必要なマスクも1万枚消毒液も1千本開催費用が足りなければ寄付もします。」と私が訴え続け、愛知県で県大会が開催されたのが経緯です。
 愛知県は日本で高校数の一番多い大会になります。その愛知県が一回戦から決勝までやることに決まったら、他の地域も次々に後押しされ、最終的には全ての都道府県で大会が行われることになりました。

医局費の減額

 医局員から徴収する医局費大幅に減額しました。愛知県では個人病院やクリニックから寄付を集めるという慣習があまりありませんでした。これでは医局財政がもたないと思い、寄付を集め始めました。新しい文化を入れることで、色々な方面から陰口をたたかれることがあったのは事実です。
 多くの皆様からの有難い寄付で医局のお金が増え、医局員の医局費負担を減らすことができました。さらに、それまで医局の事務員は2人しか配置できませんでしたが、蓄えた医局費により事務員を7名に増員しました。
 医局員の仕事を楽にしたいとの思いで、医局員の雑務による業務負担を徹底的に減らし、その一方で医局事務員(秘書)に色々なフィールドで活躍していただくようにしました。その1つとして、ホームページも大刷新しました。ホームページも学生や研修医が閲覧することを前提として、あちこちに工夫を凝らしました。ホームページのお知らせも学生や研修医が好みそうなトピックスだけを満載にしました。

もちもち医学生さんとの出会い

 医局秘書が作成したホームページの教授紹介の写真が大きな反響を呼びました。もちもち医学生さん@IGAKUSEIhello(1.8万名のフォロワー数/国試総まとめをTwitterで開示)がご自身のTwitterで当医局を紹介して下ったことで大きな注目を集め、1週間で1953件のいいねが付きました。この反響により名市大整形外科が全国的有名になりました。日本中の医学生が、国試に向けて勉強するために、このもちもち医学生さんTwitterをフォローしており、そこで注目を浴びたことによる反響は想像以上に大きなものとなりました。せっかくの機会なので、名市大整形外科プレゼンツ「もちもち医学生の整形外科国試対策セミナー」を実施しました。医学生をたくさん集め、スギ薬局グループのスギメディカル株式会社から国試応援グッズの協賛もあり、大盛況に終わりました。

2週間の夏季休暇計画

 医局員が増えれば、2週間の夏季休暇を取って良いと医局員に伝えたところ、自分たちで入局勧誘を能動的に行うようになり、更に入局者増への拍車がかかりました。当医局では医師の働き方改革も視野に入れた医局改革を行っています。

医局の環境整備

 あらゆる面で環境整備を行いました。医局入口の前にデジタルサイネージを導入し、そこで医局紹介の動画を配信することにより、名市大整形外科の広報活動も開始しました。これ以外にも、大看板の設置や医局前の廊下が殺風景だったため、名市大整形外科の関連病院の地図を配電盤にラッピングをするアイディアも実行し、医学生の注目を集めました。
 東京でも有名なデザイナーに依頼し、女性部屋の設置も新たに行いました。
 医局員と医局秘書の方々がリラックスして日々の業務に取り組めるように医局でアロマを焚き始めました。アロマセラピストが2カ月に1回来て、季節に合わせたアロマオイルを調合しています。季節によって異なる香りを楽しんでいただけることから、学内でも好評です。

学内への貢献活動

 2020年の春にマスクが足りなくなった際に、先を見越して医局に備蓄しておいたマスク3万枚の中から医学部学生と大学事務員に1万枚を寄贈しました。当時日本全国でマスクが品薄状態でしたので、とても感謝されました。これ以外の企画として、医学部学生の忘年会を開催しました。このように、学内への貢献活動も行っています。

医学部内でのプロモーション活動

 整形外科のポスターを基礎医学棟、生協食堂などに良いポジションで目立つように工夫して掲示しています。このポジショニングを得るためにも実は私が自ら貼りに行っています。「整形外科はやはり凄い」と思っていただけるようなイメージ戦略を地道に実施しています。

医学生へ労い

 BSL中に整形外科をまわる学生に対して、学内カフェテリアとイタリアンレストランのランチサービス券の配布も行っています。また、国試まで1週間を前に大学で追い込みの勉強している学生へは健康維持したまま国試を突破して欲しいとの思いで、名市大整形外科から毎日お弁当を差し入れました。

独自の応援基金制度

 コロナ禍でバイトができなくなりお金に困っている愛知県出身日本全国の医学生へ応援基金として一人50万円まで出して出世払いで返済する約束の制度を設けました。実際にお二人の学生さんが利用されました。

5.野球部について

地区大会の優勝時

 私が赴任した時は、16年連続で名大が日本整形外科学会の東海地区予選を勝ち抜いていました。
 そのため、私は名大に勝てるチーム作りを行いました。自らノックをし采配を振り、その結果、地区予選決勝で名大に4対4までこぎ着ける状況となりました。この時はじゃんけんで勝敗決定が行われたのですが、優勝を目前にじゃんけんで3人連続負けてしまう悔しさを味わいました。
 遂に、教授就任2年目17年ぶりに名市大整形外科が地区優勝を飾りました。しかし、喜びも束の間で、残念ながら日本整形外科学会の野球大会が中止になってしまいました。その翌年もコロナ禍で大会が中止となりましたがコツコツと練習を重ね、今年の1月には工藤公康監督がお越しになられた際に、私たちの投手陣の投球フォームをチェックしていただきました。
その甲斐もあり、今年は名大8対2で勝ち2年連続の優勝を果たしました。

6.関連病院の選択について

関連病院の選択
配電盤を利用した関連病院マップ

 全ての関連病院を名古屋市から通勤圏内にしました。それ以外の遠方の病院は、残念ですがお断りする形としました。
ご家庭などの事情により、遠方に行きたがらない(行くことができない)医局員が多いので、名市大整形外科に入局すれば一生、名古屋を生活拠点にできると安心感を抱いてもらえるような整備をしました。
 万が一、南海トラフ巨大地震が今後発生しても、関連病院が連携・協力しながら緊急時にも安定した診療を提供できる体制も同時に敷きました。

7.自由な医局への変革

 留学飲み会自由にしました。留学はいつでもどこでもいつまでも行っていいと医局員と約束し、今年の4月にはサーフィンをやりたい若い医師が沖縄へ留学しました。飲み会遅刻OK途中退席OKつまらなかったら帰るのOKの体制にすると、非常に盛り上がるようになりました。本当に参加したい人しか来ないため、毎回とても盛り上がります。

8.同門会の改革

 同門会では移入教授は全く歓迎されていませんでした。教授会で「おたくの同門会は伏魔殿やぞ」と耳にしてはいたものの、実際に参加して驚きました。同門総会の出席者は極めて少なく、同門会員は350名以上いますが140名以上が会費未納の実態がありました。最初に会費集めから始め、払わない方には脱会していただくことで、1千万円以上の集金を達成し、医局費が潤いました。また、同門会誌も豪華にして、内容の充実にも努めました。

9.大学への貢献活動

○医学部間交流の実施
タイのコンケン大学と個人的に親しくしていたため、医学部間交流を締結し、6年生のBSLでコンケン 大学に学生を派遣することにしました。現在、医局員も2名留学させ、医学を通して国際交流を図っています。
○大学創立の70周年の記念事業
医局から200万円の寄付をし、医局員の個人的な寄付を不要にして医局員の経済的負担を無くしました。

10.私が目指すところ

 医局の大改革で、今は、“楽しく自由でアットホームな医局”に生まれ変わりました。就任時には、学長・理事長より毎年10名の入局者を確保できれば凄いぞと言われていましたが、お陰様で就任3年目20名の新入医局員を迎えております。 新専攻医は、私の就任以前は5~6名程度でしたが、本年4月は19名で全国3位になりました。1位は千葉大、2位は名大、3位は九大と名市大がランクインしています。「人が増えれば何でもできる 何でもできれば人は集まる」をモットーに皆で協力し、令和5年度専攻医が18名+専門医が2名2年連続20名の新入医局員を迎えます。
 私が考える理想のリーダーはまず、「己の欲せざる所、人に施すことなかれ」の考えで、嫌なことは医局員や医局長にやらせてはいけないと思っています。嫌なことこそ率先して教授が対応するべきであると私は考えています。また、医局員が教授(リーダー)の顔色を伺いながら仕事をしなければならない様ではいけません。さらに、「昔は普通に私たちがやってきたことを、なぜあなた達はできないのか」とは絶対に言ってはいけない言葉の一つです。「自分にとっての当然を他人にとっての当然と思うことなかれ」の考え方を常に胸へ刻んでおります。
 これからの時代の医局リーダーはどうあるべきなのか?、私は医局員の太陽でありたいと思っています。私が考えるに、教授は医局の雰囲気を明るくして、皆にエネルギーを与え光を当てて照らさなければならない存在です。しかし、リーダーとして自分が輝き過ぎることはよくないと私は思います。リーダーであるからこそ、自己顕示欲私利私欲を捨てるべきです。自分が光っているのはあくまでも医局員のためであると私は考えます。主任教授になったならば、自分の更なる業績は必要なく、いかに医局員に光を当てるかを考えるべきです。リーダーはどんなに辛くても光を照らし続ける存在でいなければなりませんので、教授は時に孤独で、忍耐力が必要です。そして、自分の身を削って光続けなければなりません。太陽が昇らない日は無いので、教授も毎日頑張り続けなければならないのです。医局員の太陽になれなければ、医局のトップは務まらないと私は考えております。
 以前、医事新報にも掲載していただきましたが、私は「家族のような医局」「日本一威厳の無い教授」を目指しています。医局員が自由に発言し、教授の私がそれをおおらかに受けとめるまさに“自由闊達な”名市大整形外科であり続けます。ビックボスである新庄剛志監督が「ファンは宝物」と仰っていますが、私にとっては「医局員は宝物」であり、もっともっと新しい宝物が欲しいですし、その宝物を大切に磨き育てていきたいと思っています。

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